(参考資料)

 創設時の水路局は、勝海舟とともに長崎海軍伝習所で航海と測量を学んだ柳楢悦少佐(当時)を筆頭に数名の職員が東京築地の海軍兵学校寮(後の海軍兵学校)の一室で業務を開始しました。柳少佐は、外国人の助けを借りず、我が国独自の力で翌明治5年には第一号海図(釜石港)を刊行しています。
 

初代水路部長
柳楢悦少将胸像

海図第一号
我が国が最初に刊行した海図。測量から編集、製図、印刷に
至るまで、外国人の力を借りず日本独自の力で刊行した


 平成14年4月1日に海上保安庁水路部から海上保安庁海洋情報部に名称を変更しました。現在の海上保安庁海洋情報部は、海図の作製のほか、海洋環境問題や地震などの災害への対応、大陸棚画定への対応、マリンレジャーの普及に応える情報提供など、海洋に関する様々な調査と情報提供を行っています。