草創期における横浜の海図


明治4年(1871年)に水路局が設置され、翌明治5年に第1号海図「陸中国釜石」が刊行されました。
 横浜を表わした初めての海図は、明治6年11月の測量に基づいて明治7年9月に刊行された第39号海図「武蔵国横浜湾」です。
 その海図が下図ですが、馬頭と記された船だまり(長い突堤は現在でも象の鼻防波堤と称され大さん橋ふ頭の基部にあります)が存在するだけで、湾の中に船舶が錨を下ろして停泊するための海図でした。 

 その後、この海図は明治31年7月刊行の海図「横浜港近海」ができるまで修正を加え使用されました。

(参考)
 
図の水深の数値は、当時使用されたFATHOM[ファゾム](1.83m)を単位