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海 洋 情 報 部 の 沿 革

 海洋情報の業務は明治4年に始まり平成28年には145年を迎えます。

 江戸幕府時代にも個々の努力はありましたが、明治政府は海運立国を国政の方針とし、国防的見地からも沿岸の測量や海図・書誌の刊行にいたる一連の海洋情報の業務を最も緊急の事業としました。
 このため明治4年9月12日(旧暦7月28日)、ときの兵部省海軍部内に初めて水路局を設け、津の藩士 柳 楢悦 ならよし(のち海軍少将)を起用し、翌5年「釜石港」の海図を創刊したほか、同7年には観象台を設けて天文観測や気象観測をはじめ、同15年から12ヶ年計画で全国沿岸測量に着手しました。
 当時はイギリスが測量した成果も採用していましたが、柳 楢悦は「外国人を雇用せず、自力をもって外国の学問技術を選択利用し、改良進歩をはかるべし」という精神を職員にもたせ海洋情報の業務を推進しました。

 明治21年、肝付兼行(のち海軍中将)が部長に就任するまでに、水路寮、海軍水路局、海軍水路部などと名称は改変してきましたが、同21年からは海軍の冠称をやめ、単に水路部と呼びようになりました。
 これは海軍部内の独立庁として作戦用兵に必要な兵要水路図誌を調製するほか、ようやく隆昌を見せてきた海運界に対応して一般船舶に必要な図誌を供給するためでもありました。
  同時に観象台業務も天文観測や暦の調整は文部省に、気象観測は内務省に移管しました。

 大正12年の関東大震災で庁舎と資料を焼失したことは大きな打撃でしたが、関係者の資料提供により、昭和5年庁舎完成とともに業務も正常にかえり、同9年の航空図誌の創刊、同11年海象関係の第五課開設、同14年の上海航路部設置、同18年スラバヤ南方航路部設置及び同19年海軍気象部の独立など、ここに第二次世界大戦の進展とともに海洋情報の業務は拡大する一方で、当時は職員約2200名、供給する海図約400万枚、書誌約20万冊を数えるに至りました。

 昭和20年、終戦とともに水路部は運輸省に移管され、同23年海上保安庁の発足によりその一翼となりました。 戦後においては、海洋情報の業務の必要性は更に大きく認識され、船舶航行の安全に寄与してきたばかりか、港湾造成・漁場開拓・国土開発及び海洋科学などの分野にその基礎資料を提供してきました。

 ことに最近は、船舶のより安全で効率的な運航を支えるため、正確かつ最新の情報を電子海図などの形で提供するほか、我が国唯一の総合的海洋データバンクである「日本海洋データセンター」を運営し、海洋データの総合的な管理・提供や世界各国とのデータ交換を行っています。 さらに、総合的な海洋調査能力を活かし、我が国の管轄海域の確定に関する調査、地震予知や火山噴火予知など防災に必要な調査をはじめ、多種多様な調査研究を行っています。

 平成14年4月1日、「IT技術の進展に伴う情報提供体制の強化」、「海洋環境問題への適切な対応」、「国際対応能力の強化」を大きな目的として、組織全体の大幅な見直しを行いました。

 これに伴い、明治4年(1871年)海軍部に水路局が設置されて以来使用してきた「水路部」という名称を平成14年4月1日より「海洋情報部」と改めました。

 海洋情報部では、マリンレジャーを楽しむ方々も含め、より多くの方々に楽しく安全に海を利用していただくために、IT技術も最大限に活用して、これまで以上に充実した海洋情報の提供を行っていきます。