解説(海図と伊能図)

●昭和23年5月1日に海上保安庁が創設され、平成20年に創設60周年を迎えます。
海図展「海図の歴史を眺める 海の地図と伊能図」は、海上保安制度創設60周年記念行事の一環として、関門海峡、福岡湾、別府湾、佐伯湾、対馬、壱岐などの伊能図、明治時代などに刊行された海図、現在の海図を対比して海図の変遷をご紹介しています。


海図と伊能図 明治4年に兵部省海軍部に水路局(現在の海上保安庁海洋情報部)が設置されるや初代柳局長は「(海図作製等の)水路業務の基本は航海の安全を期すための測量が先決である」との方針を打ち出しました。 このため、柳水路局長は早くから伊能忠敬氏の「大日本沿海実測図」の写しを水路局が保有し、海岸測量の実施計画に活用すべきとの考えから、明治10年(1887年)内務省地理局にあった伊能家の原本300余図を順次借用し、翌明治11年1月にそのすべてを写し終えました。

海上保安庁所蔵の伊能図
水路局が写した「大日本沿海実測図」は、大正12年(1923年)の関東大震災の火災ですべて焼失しましたが、幸いにも上記実測図の写しから参考に謄写保有していたもの6図及び現地測量の際の使用に便利なように縮小したりしたものなど合わせて147図が難を免れ、震災後原備として海上保安庁海洋情報部に保管されています。従って、これらの伊能図は模写図をさらに模写したものですが、伊能図の系統の図がこれだけまとまってあるところは他にはなく、大変貴重なものです。  今回展示の図は、これらの中の一部で、1800年代の初め頃の北部九州の海岸線の状況や当時の地名などを知ることができます。

海保伊能図の種類と構成
147枚の海保大図は、描画形式によって大きく2種類に分けられ、伊能図本来の様式である景観を鳥瞰図式に表現するものと、ケバ式地図表現などによって平面図式に表現するものがあります。また、伊能大図の図郭全体をそのまま移したもの、その一部のみを写した部分図、隣接する数枚を1枚にまとめた集成図などに細分されます。そのほか、作業途上図、略写図、現地携行用の必要部写図など形式が特定しにくいものも含まれます。


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