敦賀(つるが)は、敦賀半島が角(つの)のような形をしている所なので角処(つのか)と表され、それが変化して、
一説ではこう呼ばれるようになったと言われています。
参考文献:「図解雑学日本の地名(ナツメ社)」
古くから海の難所として知られた経ヶ岬。岬の周辺は柱状に割れ目の入った岩(柱状節理といいます)が
連なった断崖となっていて、これが経巻を立てたり広げたりしたような形にも見えることから、
こう呼ばれるようになったと言われています。
参考文献:「日本地名歴史大系26 京都府の地名(平凡社)」
この岬で竜神とクジラ大王が囲碁の勝負をしたという伝説にちなんで、こう呼ばれるようになったと言われています。
伝説を象徴するように、近くの海岸には白っぽい石と黒っぽい石がたくさん転がっていて、まるで碁石のよう。
また、岬の先端にある切り立った大きな岩は「碁盤岩」とも呼ばれるそうです。
参考文献:「京都丹波・丹後の伝説(京都新聞社)」
舞鶴港から北北東方約21kmの位置にある無人島で、形が冠(かんむり)に似ていることから、
こう呼ばれるようになったと言われています。
また、「大島」とも「雄島」とも「老人島」とも呼ばれています。
古い時代の公家などが、かぶっていた帽子に似ていたからでしょうか。
参考文献:「加佐郡誌(名著出版)」
美保航空基地撮影
舞鶴湾の入口近くにあり日本海の風や波を防ぐ戸の役割をしていることから、こう呼ばれるようになったと言われています。
特に西港はこの島の恩恵を受けているそうです。
参考資料:「舞鶴みなとまち絵地図(近畿地方整備局 舞鶴港湾事務所)」
城崎(きのさき)は、古い時代には豊岡を中心に城が築かれ、この城の崎にある土地のことから
一説ではこう呼ばれるようになったと言われています。
また、一説ではこの近辺の沼地が黄色く濁っており「黄沼崎(きぬさき)」、「黄沼前(きぬまさき)」などと呼ばれて、
それが変化してこう呼ばれるようになったとも言われています。
参考文献:「日本地名大事典3近畿(朝倉書店)、図解雑学日本の地名(ナツメ社)」
鳥取(とっとり)は古い時代に水鳥を捕まえ生活をしていた人々が住んでいて、
その人々を鳥取部(ととりべ)と呼ばれ、一説ではそこから由来したと言われています。
参考文献:「日本地名大事典2中国・四国(朝倉書店)、図解雑学日本の地名(ナツメ社)」
松江(まつえ)は古い時代の大名が城を築いたときに景色が中国大陸の淞江(ずんごう)に似ているとの聞いて、
そこから「松江城」と名付けたことから、一説ではこう呼ばれるようになったと言われています。
参考文献:「図解雑学日本の地名(ナツメ社)」