海上保安庁海洋情報部が所蔵する世界図・世界航路図・世界古地図等を紹介します。
1770~1789年までの間にヨーロッパ(フランス)で作成された銅版からの印刷図で、単色刷り(墨)。地図のサイズは114×144cm(横長)、平射図法、経度の基準は大西洋のフェロ島を0度としている。当時のヨーロッパにおける最新の地理的発見等の情報を多く読み取ることができます。
ドイツで作成された世界図。地図のサイズ、108×167cm(横長)で2色(墨、青)刷り。
現物は銅板印刷。メルカトル図法、経度の基準が3種類(フェロ島、パリ、グリニジ)使用されています。海流が青色で表現され、ヨーロッパ作成の世界図としては太平洋の西経160°付近を地図の中心に配置しているのは大変興味深いといえます。
1569年(永禄12年)メルカトルが作成した世界図を1931年(昭和6年)にIHB(国際水路局)が加盟国に複製配布したもので全体が18図(シート)から構成され大きさは132×189cm(横長)の図です。ベルギーで生まれたオランダの地理学者 Gerardus Mercator(ゲラルドゥス・メルカトル)(1512~1594)が創案したメルカトル図法(地球上の航程線が図上で全て直線で表わされる)で描かれた世界図で、図中に航海用と記述されています。
浴恩園は1792年(寛政4年)白河の城主松平定信により造園された一大庭園で、明治元年まで築地に存在していました。明治元年以降は、この一帯が海軍の中心地となりました。
この図は、水路部新庁舎が1930年(昭和5年)に築地に完成したことを記念して描かれたものです。
海上保安庁海洋情報部が所在する築地5丁目の一帯は、もともと海軍発祥の地でした。江戸時代から明治初年にかけて、増山川内守上屋敷・稲葉長門守の中屋敷・一橋・松平越中守の下屋敷、尾張家の蔵屋敷がありました。海軍所は、1866年(慶応2年)に幕府軍艦操練所を海軍所とあらためた物で、1869年(明治2年)10月兵部省はこの一帯を海軍用地に買収して、艦船建造とともに2大方針の士官養成の地としました。
1800年代から1900年代初めまでの間に太平洋のマーシャル諸島の原住民達が海図の代わりとして、カヌーの航海に使用していた「ステック・チャート」です。
紙や印刷技術がなかったため、身近にある貝、ヤシの葉柄を使用しています。
貝は島の位置、ヤシの葉柄(細い棒)は、長、短、曲により、島々の方向、海流・うねりの影響等を表しています。
このチャートで示される使い方や構造は酋長達により長年秘密にされ外に出されませんでした。
このチャートで600海里も航海(渡海)したことが伝えられており、大昔から航海の安全のために、知恵を絞っていたことが伺えます。
左の海図はこのスティック・チャートの範囲が描かれた近代的な海図で、比較してみると島の位置関係はほぼ相対的に一致しており驚かされます。
海洋情報部所蔵のスティック・チャートとカヌーの模型はかつて遺骨収集団が南洋群島方面に向かうとき、水路部から海図を提供した返礼として寄贈を受けたものです。
左はカヌーの模型
柳楢悦が長崎海軍伝習所から帰藩した1858年(安政5年)以降に江戸時代前期に作成された「伊勢国割絵図」を基に描かれ、師 村田佐十郎愃光が1861年(万延2年)に作成した携帯用地図「伊勢国細見図」の基図に使われたものと推察されます。
伊勢国細見図