1871年(明治4年)兵部省海軍部に水路局(現在の海上保安庁海洋情報部)が設置され、初代局長に就任した柳は海図作成等の水路業務の基本は航海の安全を期すための測量が先決であるとの方針を打ち出しました。
同局長は全国海岸測量を実施する際に伊能忠敬の大日本沿海実測図を活用すべきとの考えから、1877年(
明治10年)内務省地理局にあった伊能図の原本300余図を順次借用し、翌1878年(明治11年)1月にその全てを写し終えました。
しかしこれらの図は1923年(大正12年)の関東大震災ですべてを焼失しました。幸いにもこれより先に、それらの写しから参考に書き写し保有していた147図が難を逃れ、大切に保管され現在にいたっています。
謄写された伊能図は、柳局長の思いで1882年(明治15年)から
開始された日本全国沿岸測量12ヶ年計画樹立のための主資料として活用されました。
※赤背景の図は海上保安庁海洋情報部でのみ所蔵