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資料名 |
写真 |
説明 |
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海瀕舟行図(かいひんしゅうこうず) |
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幕府の巡見使衣斐蓋子(えびがいし)等が江戸初期の延宝8(1680)年に沿岸航路を調査して四巻にまとめた巻物形式の海路図です。範囲は、瀬戸内海・四国・九州など日本全国及び水路案内記で構成されています。(国立公文書館 所蔵) |
2 |
改正日本船路細見記 |
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天保13(1842)年に刊行された航路案内記で、港湾・里程表・潮汐・航海術・名所記・天気予察法などの航路に関する情報が網羅されています。(海洋情報部 所蔵) |
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BAY OF YEDO |
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ペリー提督が来日した際に測量した成果を基にアメリカで出版された海図です。海岸線や水深の他に測量時につけられた米国地名が各所に記載されています。 |
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長崎海軍伝習所で作られた測量図 |
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日本の海図の創始者である柳楢悦(やなぎならよし)が長崎海軍伝習所時代にオランダ人教師から学んだ水路測量術などにより作製した、五島列島(福江島玉之浦)と天草下島(富岡港)の測量図です。水深と山の高さは漢数字で描かれています。 |
5 |
イギリスの測量による海図と日本の海図 |
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両図とも瀬戸内海の鳴門海峡周辺の海図です。上段の海図はイギリスが明治2(1869)年に測量を行い、この資料等に基づき翌年(明治3(1870)年)にイギリスで刊行された海図を昭和46(1971)年に、我が国の水路業務100年を記念してイギリスから寄贈を受けた図です。下段の海図は海軍水路部が明治33(1901)年に測量を行い、翌年(明治34(1902)年)に日本で刊行されたものです。 |
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海図第1号釜石港(明治5年刊行) |
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明治4(1871)年「春日」艦長となった柳は、北海道・東北沿岸各港の測量を実施しました。その成果の一つとして明治5(1872)年9月に我が国初の海図第1号「陸中國釜石港之圖」が、海軍省水路寮から刊行されました。その後、北海道から九州にかけての主要港湾等の海図が整備されていきました。 |
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石版(東京海湾 明治26年) |
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明治12(1879)年以降、石版印刷の研究が進められ、明治中期以降は、銅版印刷から石版印刷へと移行されました。大正期に入り、材料の入手法や取り扱い面などから石版から亜鉛版に変わっていきました。石版印刷は現在の平版印刷の源となった印刷法です。 |
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伊能図(謄写図) |
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初代局長の柳楢悦は海図を作製するためには、伊能忠敬氏の「大日本沿海輿地全図」(伊能図)の写しを水路局が保有し、沿岸測量を実施する際の実施計画等に活用すべきと考え、明治10(1877)年、内務省地理局が保有していた「伊能図」原本300余図を借用して謄写しました。これら謄写図は、大正12(1923)年の関東大震災で全て焼失しましたが、幸いにも謄写図から更に作業用として謄写した147枚の図が難を逃れ現存しています。このうち12号、133号、157号、164号の4図(伊能大図)は、海洋情報部以外に所蔵がなく非常に貴重な図です。 |
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大日本海岸実測図 |
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明治初期刊行の日本沿岸の港湾、海岸の海図57枚を一冊にまとめたものです。これらは銅版印刷によるもので、有名な銅版彫刻師「松田儀平」が彫刻し、芸術価値の高い海図として評価されています。 |
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秘密海図 |
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明治17(1884)年~明治30(1897)年に刊行された軍港や艦船避泊錨地などの秘密海図が収録されています。海図64図が製本されており、海軍内部で閲覧するために特別に作成されたものと思われます。 |
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天図 |
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天体の高度や方位角を測り、自船の海上位置を求めるために、天体の天球上での位置、視等級及び名称を平面で表した図です。 |
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色彩海図(瀬戸内海安芸海岸) |
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浅瀬が分かりやすいように水深3尋(約5m)、5尋(約8m)の等深線区域を分けて着色されています。自船の位置を把握するための印となる砂浜等が着色されたもので、明治期では珍しい海図です。 |
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日本海軍航空図 |
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大正3(1914)年「横須賀至東京」の航空図が秘密扱いで試作されました。昭和5(1930)年までに25版、昭和19(1944)年までに普通図19版、秘密図152版が刊行されました。これらの航空図は、海岸線を中心に配し、航空機上で読図し易いように横長斜置式で作られています。 |
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浮彫式海図(軍機海図) |
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昭和13(1938)年に刊行された水路部秘72号「宿毛港等深曲線図」です。潜水艦用に試作された海図で、宿毛湾奥の海底が立体的に見えるように表現されている大変珍しい海図です。 |
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大東京鳥瞰写真図 |
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海上保安庁が所蔵する昭和8(1933)年に発行された原本を基に平成16年に復刻出版されたもので、航空写真の上に地名や行政界が加刷されています。縮尺1万分の1、48枚の写真で当時の東京市が収められ、関東大震災(大正12(1923)年)復興の様子が判読できます。販売先が軍など一部の政府機関に限られたためか原本が他に確認されておらず、大変貴重な資料です。 |